こちらはメールにて当サイトに直接投稿いただきました記事です
【名無しのぬこ】 さんありがとうございます!

[投稿日時] 2016年04月21日 11時08分26秒
■体験談

長くなるし胸糞悪い話だけど、この時期になると嫌でも思い出すので吐き出させて貰う。

俺の親は俺が7つの時に離婚した。
理由は俺の遺伝子上の母親(以後、あのひと)がどこぞのカルト宗教にどっぷりだったからと聞かされてた。
家事を放棄してお祈りばかりしてるあのひとに愛想を尽かして、父は出ていくと言った。

その時俺にどっちに付いていくかと聞かれたけど、俺はあのひとの方にいくと答えた。
宗教にハマってるあのひとは正直好きでは無かったが、当時2才の妹があのひとに引き取られると聞いていたので、子供なりに妹を守らないとと思っていたからだというのは覚えている。





でも、子供ってのは無力だった。
あのひとは俺や妹を宗教の施設やイベントにつれ回し、お祈りやお布施を嫌がれば暴力に走った。
俺だけ家のカギを渡されずに外に取り残されたり、食事を抜かれたりもした。
妹どころか自分の身を守るのさえままならず、覚えていないが当時の俺は「タヒんだほうがマシ」が口癖だったらしい。
97
離婚から3年後、父の説得を受け弁護士に会わされ話を聞かれ、それから俺は妹と共に父の元に引き取られた。
その時には父は再婚し腹違いの弟が生まれていた。
とはいえど、俺は腹違いでも弟が出来たことは素直に喜んだ。
ただ、弟の母親(継母)には俺はなかなかなつかなかった。当時の事はあまり思い出せなくなってるが、なんとなく離婚した当時に父に会わされた覚えがあったから、子供心になんとなく気付いていたのかも知れない。


妹は俺よりも小さかったから、きっとストレスも半端なかったんだと思う。おねしょを繰返し、よくウソをつくようになっていた。

引き取られたあとすぐに父の家にあのひとが凸してきた。外で俺と妹を呼んでるけど、戻るつもりはなかった。
給食費すらまともに払ってなかったのは、あのひとが養育費のほとんどを宗教につぎ込んだと知ったからだ。

それ以降は凸は無く、間もなく引っ越したので2度とあのひとに会うことはなくなった。


ただ、引っ越してからは妹が問題を起こし始めた。
小学校に上がってからは家の金を盗んだり、万引きを繰り返すようになっていた。

最初は言葉で説得してた継母も、次第に手が出るようになっていた。

俺は俺で貰ったはずのプリントの存在を忘れてたり、それを貰ってないと言ったり滅茶苦茶な言動が目立ってきてた。
さすがに盗みや万引きなどはしなかったが、中学では些細なことでキレてケンカを繰り返してた(でもひ弱なので負けてたw)ので、生活指導の先生に絞られてた。

そんな環境で、朝の洗濯、掃除、食器洗いは登校前に俺がやることになっていた。やらないと学校に行かせてくれないし、文句を言われるのでやるしかなかった。おかげで遅刻ギリギリどころか、何度も遅刻する羽目になった。
勿論夜も食器洗いは俺の担当だ。
正直、家に帰るのがしんどかった。


あるとき、父がある映画のビデオテープを買ってきた。弟に「これはお父さんとおかあさんが初めてデートした時に観た〜」と言ってたのは覚えてる。
でも、その映画をやってたのは父とあのひとが離婚する前年に公開したやつなんだよね。
しかも、その時妹まだ一歳にもなってなかったはずだし。

要するに、継母は父の当時の不倫相手だったというわけだ。

ショックではあったが、この時はそれでも家族だから…という情もあったので誰にも言えなかった。


でも、さすがに耐えきれなかったのかこの辺りの前後数ヵ月の出来事、会ったはずの人たちのことをかなり思い出せなくなってた。


それから数年後、高校に入った妹は家に彼氏を連れ込むようになり、弟を閉め出してコトに及ぶようになった。


これには父と継母もブチギレて、妹をボコボコに殴りその彼氏とは別れさせた。


それから数日後の真夜中、俺は継母に叩き起こされた。
「なんか言うことあるんじゃないのか」とか言われたが、真夜中に叩き起こされるようなことをした覚えはない。
そのまま眠いので二度寝しようとしたら、殴られ引きずられて二階に連れていかれた。
すると、何故か灯油臭い。
見ろと言われて床を見たら、燃えた跡があり焦げていた。

誰かが灯油を撒き散らし火を着けたのだという。
ここで、ようやく俺が疑われていることに気がついた。
とはいっても、俺は勿論灯油を撒いてもないし、火を付けてなどいない。

俺じゃないと言っても、「じゃあ誰がやった」と言われる始末。というかそれ言われてもこっちが誰の仕業か知りたいくらいだった。

父と継母の言い分では、俺は浪人した挙げ句受かった滑り止めの所でさえ成績は下から数えたほうが早い。それを責めた私達を恨んでいるんじゃないのかと言われる始末。
確かに浪人も成績も本当のことだが、だからって火を放って頃すことなんて考えたこともない、信じてくれと泣きながら言ってもダメだった。


その次の日はボロボロのまま学校に向かった。とても講義の内容など耳に入らない。
でも、真犯人はあっさり見つかった。
妹だった。

継母は俺達が学校に向かってから、俺と妹の部屋を漁り、妹の部屋から灯油の染み込んだ妹のパジャマや靴下を発見したのだと。


その日のうちに、妹は高校を退学させられ施設送りになった。
動機は彼氏と無理矢理別れさせられ、父と継母さえ居なくなればまた彼氏くんと付き合える!ついでに遺産で大金ゲット!罪は兄(つまり俺)になすりつければいいや!というトンデモ理論。


ここで、もう俺自身限界がきてた。
この事件以外の前後数ヵ月の記憶が思い出せなくなり、無気力状態だった。今思えば、ほぼ鬱だったんだろう。
俺はもう何もかもイヤになり、荷物を適当に詰め込んで家を飛び出した。
バイト先の店長に事情を話し、シフトを増やして貰って掛け持ちもし、なんとかアパートを見つけることができた。

学校は退学になってたが、別にどうでもよかった。
その時は生きるのに必死だった。


それからしばらくは時々父から連絡は来てたが、あまり話す気にはなれなかった。
妹の放火の件でも未だに謝罪の一言もないし、自分の人生を振り回してきた原因が誰なのかと考えたら堪らなかった。


結果としては、実家とはほぼ絶縁状態となった。
とはいっても、弟とはたまに連絡取ってるんだけどね。


この前弟が成人した時にお祝いに飲みに連れてったら、俺と妹は父の連れ子で再婚したあと弟が生まれたと話してる事を知った。

迷ったが、弟には本当の事を話した。
俺と妹は確かに弟とは腹違いだが、3年間はあのひとの元にいたこと。
俺が実家にいるのは苦痛でしかないこと。
恐らく、離婚前から父と継母は不倫関係だったこと。
自分達に都合のいいようにしようとする親を信じられないこと。

さすがにショックを受けてたようなので話さないほうが良かったかも知れない、と思ったがそれでも弟は俺を兄と呼んでくれる。

今は父がいい顔をしないので弟とは滅多に会わないけれど、仲は悪くはないはず。


実家とは最初は父も頻繁に電話してきたけど、上記のこともあり三回に一回出る割合で着信スルーしてたら最近はほぼ連絡もなくなった。
父は「お前の幸せのために」とよく言ってたけど、それは父が求める幸せであって、俺の求める幸せとは別のものだ。

最近弟から聞いた話では、俺が結婚したら同居か近くに住まわせるかする計画を立ててるらしい。
そんなつもりはないし、もし今の彼女と結婚したら転勤申請をするつもりだから、その計画はムダになるけどね(笑)


考えたら、あのひとも妹もあそこまで壊れたのは父と継母に振り回された結果じゃないかと思う。
あの二人は加害者になってしまったが、同時に被害者でもあったんだろう。 
もうあの二人は肉親でも人間とも思ってはいないけど、それでもそう思わずにはいられない。

俺も多分結構人として壊れてるんだろうけど、辛うじて人としての道は踏み外さずに済んだ。  


今はこんな事情を知っても付き合ってくれてる彼女もいるし、俺も彼女の家庭事情を知っても付き合い続けている。

もうあそこの家は俺の帰る場所ではないけど、これから帰る場所を新しく作るように頑張っていくつもりだ。


以上、ダラダラとお目汚し失礼しました。


当サイトで皆様の体験談、相談、愚痴、吐き出し。何でもお待ちしております
コメント欄 or メールフォーム から投稿下さい!




1001: 以下、おすすめ記事をお送りします: 2016年04月22日 19:24 ID:kijyomatome1